アラフォーが仕事を辞めてハンガリーへバレエ留学するまでの道

アラフォーのバレエ

 

もふこ
 
私は2017年夏から1年間ハンガリーへ留学しました。留学は中学生の時からの夢でした。留学の期間アメーバでブログを書いていました。

https://ameblo.jp/nagyonorulok/

この記事では、突然仕事を辞めて留学した経緯をご紹介したいと思います。  

この記事を書いている人

BaBaBallerina
5歳になるちょっと前からバレエを開始。
コンクールや、地区のバレエ協会の公演に参加。
なぜか理系の大学、大学院に進み就職しバレエは趣味で続ける
会社を辞めて1年間ハンガリー国立バレエ学校のTeachingとCoachingのコースで
ワガノワメソッドを学ぶ。

 

大好きな本

「パリ砂糖漬けの日々 ル・コルドン・ブルーで学んで」という本があります。著者の多田千香子さんが、10年勤めた朝日新聞社を辞め、パリの製菓学校に留学した実話です。パリでの奮闘を綴ったこの本が私は大好きでした。しかし10年後に自分が同じようなことをするとは夢にも思っていませんでした。

 

失恋が原動力

「留学したかったんでしょ? 1週間でも1ヶ月でも行けばいいじゃん」

HPMP0どころかマイナスになる程の失恋ダメージでボロボロ、おまけに仕事も午前様が当たり前の激務でヘロヘロ、という状態の私に友人が言いました。

ハッとしました。脳内に新鮮で冷たい水がざーっと流れるような感覚とでも言いましょうか。すっかり忘れていたが確かに留学は夢でした。ただ、留学といったら最低でも2年とか3年とか、長期で行かないと意味がないと思い込んでいたのです。

「そうか。短期でもいいんだ。とりあえず留学しよう」

彼氏も旦那も子供もいない、今じゃないとできないことをしよう、と思いました。

さて、どこに行って何をするか。もう30歳を結構過ぎています。この歳で行くならプロジェクトマネジメントとか、何かキャリアにプラスになることがいいだろうと思いました。

語学留学は嫌で、英語を学ぶより、英語で何かを学びたいと思っていました。

ビジネススクールなら世界中にあります。思い切ってアフリカはどうだろう。アフリカに行くために会社を辞めた人の話をどこかで読んだことがありました。公用語は英語だし、テーブルマウンテンが見たいな。イギリス、アメリカ、オーストラリアは留学先としては手堅いが、学費が高い……などと考えていてふと思いついたのが、以前訪れたハンガリーです。

 

ハンガリーとの出会い

実際に行くまでハンガリーがどこにあるのかもよくわかっていなかったのですが、首都ブダペストの街並みは美しく、特にゴシック建築の国会議事堂のかっこよさに魅了され、何百枚も写真を撮りました。

あっちこっち一人で回って、安全で住みやすそうな国だと感じました。ハンガリー語が使われていますが都市部は英語が通じます。何より物価が安く、日本の半分くらい。母の知り合いの娘がハンガリーでチェロを弾いています。相談できるかもしれないなと思いました。

そんなことを考えながら京橋のあたりを歩いていたら、ある看板が目に止まりました。ダンス留学専門の斡旋会社 (アンドビジョン)の看板でした。

光が見えた気がしました。先生になるコースならバレエ留学もあり?

私は4歳からクラシックバレエを習っていました。10代の頃は週6回レッスンするほど真剣に取り組んでおり、バレエ留学して海外バレエ団に入るのが夢だったのです。しかし高校卒業時に自分の実力では無理だと感じ、勝手に諦めて一浪して大学に進学したのでした。

挑戦する前に諦めたのが悪かったのか、バレエに対する消化不良の様な未練は長く尾を引きました。くっついたり別れたりを繰り返す腐れ縁の彼氏のように、先生になるでもなく発表会に出るわけでもなく、バレエとは全く関係のない仕事をしながら週に一度、細々とレッスンを続けていました。

気づいたら京橋のその会社に入っていました。そこで提案されたいくつかの中にあったのが、ハンガリーの国立バレエ学校でメソッドを学ぶ10ヶ月のコースです。このコースではワガノワメソッドとその指導法を学ぶことができるのです。毎日のレッスンもあります。年齢は50歳が上限でした。

こちらの記事で学費などの話をしています

https://freshorange.jp/ara40balletschool/

 

ハンガリーに行くことにする

10ヶ月なら長過ぎず短か過ぎずでちょうど良いです。学費も他の国の半分程度でした。とりあえず出願することにしました。受かってからよく考えればいい、と思いました。私はいつも何か新しいことをするときにこう考えます。とりあえず受けて受かったら考える。辞退もできるのだから。

その時点で出願締め切り1週間前だった。合格の知らせを受け取ったのはそれから数週間後。

受かってからよく考えようと思っていたけれど、心はもう決まっていました。

ハンガリーに行く。この歳でバレエ留学です。

ビジネスとかキャリアにプラスとかもうどうでもよくなっていました。それよりも、バレエという長年の腐れ縁とやっと真剣に向き合える感じがしました。

退職する

仕事は辞めることになりました。会社のことが好きだったので休職して帰国後に戻りたかったのですが、バレエ留学は休職の理由としては認められなかったのです。

「じゃ、辞めます」

迷わずそう言いました。会社に対する好きレベルが少し下がりましたが理解はできます。教育休職という制度はあったのですが、当然仕事に関連のある学びが対象です。バレエは微塵も仕事に関連しません。帰国後に再入社すればいいや、と考えました。結局しなかったのですが。

 

恐怖に襲われる

あっという間に会社を辞め、賃貸マンションを解約し、出国までのひと月ほど実家に身を寄せました。近くのバレエ教室に行きまくって留学に備えていたのですが、ここにきて恐怖心と不安がむくむく湧き上がってきました。私は何か取り返しのつかないとんでもないことをしようとしているのではないか。学校を卒業してから初の無職です。お金は大丈夫なのか? これからバレエ漬けの毎日になるのに10年近く週一回しかレッスンしていません。身体はだいぶ動かなくなっています。そしておそらく一番年寄りの留学生に違いないのです。ついていけるのでしょうか。

 

再び、大好きな本

そんな中、大好きだったあの本のことを思い出しました。

まさに「パリ砂糖漬けの日々」の著者、多田千香子さんと同じことを私はしようとしているじゃないか。

きっと大丈夫。行けばなんとかなる。何かあったらその時考えればいい。

ちょうど多田さんがパリに行ったのと同じ年齢で、私はトウシューズと一緒にハンガリーに旅立ったのでした。

 

終わりに

留学したい、と思ってから実際にするまでに20年近く経っていましたが、海外の国立のバレエ学校とはなんぞや、を見ることができて本当に良かったし、そこで今でも付き合いの続いているいろんな国からきた友達に出会うことができました。行ける時に行っておいて良かったと思います。

ハンガリー滞在中に両親と弟が遊びにきてくれました。父は私が帰国してすぐにすい臓がんが発覚し、一年後にはこの世を去ってしまいます。父をハンガリーに呼べて、時間を共有できたことはとても嬉しいことでした。弟にも、あれは良かったよね、と言われて嬉しかったです。

コメント

  1. くろねこ より:

    23歳からクラシックバレエを始めた人間です。
    大学時代、ロシア語を学んでいました。
    大学の3年時に留学を予定していましたが、コロナで叶うことはありませんでした。

    社会人になっても、留学したいという気持ちは変わらず
    ロシア語で何かを学びたいと考えるようになりました。
    ロシア語を学んでいたためかクラシックバレエに触れることが多かったため、クラシックバレエで留学したいと思うようになりました。

    もちろん、20代からクラシックバレエをやること自体遅いですし、ましてやロシアの留学なんてもっと難しいのは百も承知です。  
    本当に挑戦だと思っています。
    ただ、無理かもしれないと思うことは多々あります。

    20代以降でバレエ留学をしている人がいるか検索をかけたところ、たまたまこのブログに出会うことができました。 アラフォーでハンガリーにバレエ留学、素敵だと思いました☺️

    このブログを読んで頑張ろうという気持ちになります。
    他のブログを見ると、管理人さんが等身大で語っていて心に響きます。

    本当にありがとうございます😊
    私も一生懸命頑張ろうと思います。

    • 管理人 より:

      くろねこ様、読んでいて涙が出るような素敵なコメントありがとうございます。大人はバレリーナになるための留学はできませんが、指導者や方法論など別の角度から行くことはできるのではないかと思います。留学したいと思う気持ちがあるのならばぜひ挑戦してほしいと個人的には思います。私はワガノワメソッドで習ってきていないのですが、ハンガリーに行って、ワガノワに触れることでロシアバレエが好きになりました。ロシアではバレエの先生になるのに5年程度要するそうなのですが、先生が目的でなければ短期の講座や聴講制度なんかがあるのでは・・・情勢的に厳しい面もあるとは思うのですが、諦めずに何らかの形で行けることを祈っております。

タイトルとURLをコピーしました